山鳥重「わかるとはどういうことか」(2002年4月筑摩書房刊)からの抜粋です。
(はじめに)
人間は考える葦である、というパスカルのよく知られた言葉があります。 「人間は考える」という一般的事実を述べるのは比較的やさしいのですが、 「考えるとはこれこれこういうことである」と述べるのは難しいのです。
われわれは「わかった?」「いや、わからない 」「あ、わかった」「なにがなんだかさっぱりわからない」などと言い交して毎日を送っています。このわかる・わからないという表現は、考えるからこそ出てくる言葉です。すべてわかっていれば考えることもありません。わからないことがあるからこそ、わかったという事実が発生するのです。わからないことがわかったと思えるのは、考えたからです。考えなければ、わからないままです。
(1)記号の役割とは何か
われわれの祖先がいつごろ言葉を獲得したのかはわかっていませんが、言葉を獲得して以来、さまざまなモノやコトに名前を付け続けてきました。名前を付けるというのは、記憶心像に音声記号を貼りつける働きです。
記憶心像はただそれだけでは掴まえがたいところがありますが、名前にはこの掴まえがたい記憶心像を掴まえる働きがあります。それ自体では不安定ですが、名前によって心像が安定するのです。
(2)わかるの第一歩
わかる、わかったという経験の第一歩は、まずなんといっても言語体験です。ある音韻パターンと一定の記憶心像が結びついていれば、その音韻パターンを受け取ったとき、心にはその記憶心像が喚起されます。つまり、わかるためには自分の中にも相手と同じ心像を喚起する必要があります。ひとりよがりの心像を喚起したのでは相手の言葉はわかりません。そして、相手と同じ心像を喚起するためには、その手段である言葉とことばの意味を正しく覚えておく必要があります。
(3)わかるにもいろいろある
①全体像がわかる・・・我々は時間や場所、仕事や勉強についていつもだいたいの見当をつけることができます。見当をつける、というのは扱っている問題を一度手元から離して、遠い距離から眺め、他の問題とのかかわりがどうなっているのかという大枠を知ることです。全体像を掴むことです。
②整理するとわかる・・・われわれの周囲には多種多様な現象が、かつ現れ、かつ消えてゆきます。その変幻する事象をすべてありのままに見、ありのままに聞き、ありのままに触っていたのでは大変です。何とか少しずつまとめる必要があります。整理、つまり分類ができているからわかっているので、分類できないとわからないのです。わかるというのは、心のありようです。自分の分類原理をすべてに適用することです。客観的な分類原理がどこかに存在していて、それが自分に入ってくるのではありません。
③筋道が通るとわかる・・・時間的つながりの理解、筋道を立てる、というわかりかたです。
④空間関係がわかる・・・われわれは三次元の世界に暮らしています。その空間にはいろいろなものが存在しています。さまざまなものの位置関係が理解できないと暮らしてゆくことはできません。
⑤仕組みがわかる・・・ご存知のように、われわれが住んでいるこの大地は長い間、動かないもの、変化しないものの代表でした。太陽や星がわれわれの周りを動いている、と思っていました。ところが、実は回っているのは不動のはずの大地でした。つまり、みかけは事実ですが、事実の一面であって、全部ではありません。みかけを作り出しているからくりを理解しないと、本当にわかったことにはならないのです。
⑥規則に合えばわかる・・・あらかじめわれわれの先祖・先輩たちが打ち立てておいてくれた原理・原則を参照し、それにのっとって現象を操作し、整理するやり方です。つまり、規則に合わせて理解する、というやり方です。
(4)どんな時にわかったと思うのか
わかった、という体験は経験のひとつの形式であって、事実とか真理を知るということとは必ずしも同じではありません。
①直感的にわかる・・・わからないことがわかったとき、答えが外から頭の中に飛び込んでくるわけではありません。あるいは答えが頭のどこかにあって、その答えに直達する、ということでもありません。答えは外にも中にもないのです。ちゃんと自分で作り出すのです。ただ、その作り出す筋道が自発的な心理過程に任されていて、意識的にその過程が追いかけられないとき、われわれはほかに表現のしようがないので、「直感的にわかった」という表現を使うのです。
②まとまることでわかる・・・本や話の内容がわかる、とは自分のものにすることです。長々と表現されたものが自分の概念としてひとつのイメージにまとめられることです。そうなると、今度は自分の言葉で表すことができます。
③ルールを発見することでわかる・・・思考という心の営みの一つの目的は、みかけの世界(知覚心像の世界)の背後にあるルールを発見しようとすることです。
④置き換えることでわかる・・・平明で客観的なデータであっても、実感的にわかるためには自分が操作できる手持ちの心像に置き換えなければなりません。自分の操作できる心像に置き換えるとは、新しく取り込んだ情報を既知の情報に置き換えることです。あるいは自分の言葉、自分の思考単位に置き換えることです。
(はじめに)
人間は考える葦である、というパスカルのよく知られた言葉があります。 「人間は考える」という一般的事実を述べるのは比較的やさしいのですが、 「考えるとはこれこれこういうことである」と述べるのは難しいのです。
われわれは「わかった?」「いや、わからない 」「あ、わかった」「なにがなんだかさっぱりわからない」などと言い交して毎日を送っています。このわかる・わからないという表現は、考えるからこそ出てくる言葉です。すべてわかっていれば考えることもありません。わからないことがあるからこそ、わかったという事実が発生するのです。わからないことがわかったと思えるのは、考えたからです。考えなければ、わからないままです。
(1)記号の役割とは何か
われわれの祖先がいつごろ言葉を獲得したのかはわかっていませんが、言葉を獲得して以来、さまざまなモノやコトに名前を付け続けてきました。名前を付けるというのは、記憶心像に音声記号を貼りつける働きです。
記憶心像はただそれだけでは掴まえがたいところがありますが、名前にはこの掴まえがたい記憶心像を掴まえる働きがあります。それ自体では不安定ですが、名前によって心像が安定するのです。
(2)わかるの第一歩
わかる、わかったという経験の第一歩は、まずなんといっても言語体験です。ある音韻パターンと一定の記憶心像が結びついていれば、その音韻パターンを受け取ったとき、心にはその記憶心像が喚起されます。つまり、わかるためには自分の中にも相手と同じ心像を喚起する必要があります。ひとりよがりの心像を喚起したのでは相手の言葉はわかりません。そして、相手と同じ心像を喚起するためには、その手段である言葉とことばの意味を正しく覚えておく必要があります。
(3)わかるにもいろいろある
①全体像がわかる・・・我々は時間や場所、仕事や勉強についていつもだいたいの見当をつけることができます。見当をつける、というのは扱っている問題を一度手元から離して、遠い距離から眺め、他の問題とのかかわりがどうなっているのかという大枠を知ることです。全体像を掴むことです。
②整理するとわかる・・・われわれの周囲には多種多様な現象が、かつ現れ、かつ消えてゆきます。その変幻する事象をすべてありのままに見、ありのままに聞き、ありのままに触っていたのでは大変です。何とか少しずつまとめる必要があります。整理、つまり分類ができているからわかっているので、分類できないとわからないのです。わかるというのは、心のありようです。自分の分類原理をすべてに適用することです。客観的な分類原理がどこかに存在していて、それが自分に入ってくるのではありません。
③筋道が通るとわかる・・・時間的つながりの理解、筋道を立てる、というわかりかたです。
④空間関係がわかる・・・われわれは三次元の世界に暮らしています。その空間にはいろいろなものが存在しています。さまざまなものの位置関係が理解できないと暮らしてゆくことはできません。
⑤仕組みがわかる・・・ご存知のように、われわれが住んでいるこの大地は長い間、動かないもの、変化しないものの代表でした。太陽や星がわれわれの周りを動いている、と思っていました。ところが、実は回っているのは不動のはずの大地でした。つまり、みかけは事実ですが、事実の一面であって、全部ではありません。みかけを作り出しているからくりを理解しないと、本当にわかったことにはならないのです。
⑥規則に合えばわかる・・・あらかじめわれわれの先祖・先輩たちが打ち立てておいてくれた原理・原則を参照し、それにのっとって現象を操作し、整理するやり方です。つまり、規則に合わせて理解する、というやり方です。
(4)どんな時にわかったと思うのか
わかった、という体験は経験のひとつの形式であって、事実とか真理を知るということとは必ずしも同じではありません。
①直感的にわかる・・・わからないことがわかったとき、答えが外から頭の中に飛び込んでくるわけではありません。あるいは答えが頭のどこかにあって、その答えに直達する、ということでもありません。答えは外にも中にもないのです。ちゃんと自分で作り出すのです。ただ、その作り出す筋道が自発的な心理過程に任されていて、意識的にその過程が追いかけられないとき、われわれはほかに表現のしようがないので、「直感的にわかった」という表現を使うのです。
②まとまることでわかる・・・本や話の内容がわかる、とは自分のものにすることです。長々と表現されたものが自分の概念としてひとつのイメージにまとめられることです。そうなると、今度は自分の言葉で表すことができます。
③ルールを発見することでわかる・・・思考という心の営みの一つの目的は、みかけの世界(知覚心像の世界)の背後にあるルールを発見しようとすることです。
④置き換えることでわかる・・・平明で客観的なデータであっても、実感的にわかるためには自分が操作できる手持ちの心像に置き換えなければなりません。自分の操作できる心像に置き換えるとは、新しく取り込んだ情報を既知の情報に置き換えることです。あるいは自分の言葉、自分の思考単位に置き換えることです。
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