「痛みは生命体にとって迫りくるあるいは直接障害を及ぼす危険を知らせる警告システムとして最も基本的な感覚で、進化の過程で保存されてきました。大脳皮質が発達するにつれ、行動に感情がともなうようになります。情動、気分、感情は似た言葉であり、同じように使われていますが、次のように区別されています。

情動は警告システムが作動したときに、無意識的に生じる動悸、血圧の上昇や発汗などの短期の生理的な反応に、気分は情動反応が長く続く状態に用いられます。感情は意識的な情動反応に用いられ、主観的になります。

動物では迫りくる生命の危険に伴う痛みの予測は生存に欠かせないものですから、最初に痛い目に会ったら次に痛い目にあわないように学習し、記憶され、ときには遺伝し、動物の意志の決定の動機づけや行動の変化と結びついています。

奈良公園のシカは観光客に近寄ってエサをねだりますが、野山にいるシカは人の気配を感じるだけで飛び跳ねて逃げ去ります。人の慢性痛の場合には、生命の危険を感じることはほとんどありませんが、過去の記憶と合わさって、再発の恐怖が日常生活の行動と密接につながっています。

痛みに注意がいくと痛みが強まり、気がそれると弱まるように、痛みの認識は、そのときの注意の度合い、精神状態、その人の過去の記憶をはじめ多くの因子により影響を受けます。対人関係、不安や抑うつ状態などが加わり感情部分の比重が大きくなる場合があり、難治性となります。」
伊藤誠二「痛覚のふしぎ」2017講談社P.122-123

》痛みに注意がいくと痛みが強まり、気がそれると弱まるように、痛みの認識は、そのときの注意の度合い、精神状態、その人の過去の記憶をはじめ多くの因子により影響を受けます《  私は子どもの頃から歯医者が大嫌いである。よほどに痛みがなければ行く気になれない。歯の神経を先が細い道具で刺激されるたことを思うだけで背筋に震えがくる。麻酔の発明後に生まれてきて本当に良かったと思っている。