これまでは電話を手に持って「もしもし」と、大人のやり方をマネていた娘。それが最近では、ものの使い方から一歩自由になって、まんじゅうやミニカーを受話器に見立て、耳に当てながら「もしもし」とやるようになりました。本来の用途に縛られず、自由な発想ができるようになってきたのだと思います。これも視点の自由度の向上です。

娘は今までも、おもちゃで本来とは違う遊び方をしたことはあります。でも、その時は、単に元来の使い方を知らなかったからです。でも、今はより自由に想像力を発揮するようになりました。さらに目の前にあるもので「何をして遊ぼう」と考えて、たとえば「じゃあ、どっちが遠くまで転がるか競争しよう」などと、自分で新しい遊び方をつくり出しています。

こうした柔軟な発想力は、大人にとっても大切なことです。たとえば、千円札と百円玉なら、どちらの方が価値があるかは状況によります。爪が割れそうなほど固いプルトップを開缶したい場合は、百円玉のほうがはるかに価値があります。新聞紙も、そこから社会情報を得ることもできますが、野菜を包んだり、暖をとったり、お尻を拭いたりと、さまざまな使い方が可能です。

このように状況に応じて、ものの見方を転換する柔軟な発想力を、この年齢の子どもが手にしはじめているということなのでしょう。

池谷裕二「パパは脳研究者」2020扶桑社P.231-232