「学び」は「教え」よりもはるかにすそ野の広い概念です。

人は失敗からたくさん学びますし、その学び方が深い人のほうが人生を上手に構築していくでしょう。学びに原理を移すと、失敗が重要な意味を持ったこととして光り出すわけです。あるいは、日常のちょっとしたことにも、そこから学ぶべきことは無限にあると気がつきます。生き方上手の人は死ぬまで学び続けるでしょう。教材はあらゆるところに広がっていることに気がつきますし、学ぶ機会はどこにもあることに発想が飛んでいきます。

これからGIGAスクール構想が広がっていき、生徒たち一人ひとりがパソコンやタブレットなどの端末を持って授業に参加するのが当たり前になっていくでしょう。しかし教育が「教え」の精緻化をミッションにしている発想でGIGAスクールを具体化していきますと、生徒たちの成績は一時上昇するものの、時間がたつにつれて、以前よりも下がっていくというデータを示す研究もあります。これは、教育を「学び」を原理に構想していないことから来る皮肉な結果です。

「学び」とは何かを多角度から検討し、深めていけば、教育は「学ぶ力を豊かにし、深くする」ということでいい、とわかってくるはずです。「教え」から「学び」への発想の転換こそが、教育を時代の変化に適応させる唯一の方法だと私は思っています。

汐見稔幸「教えから学びへ」2021河出書房新社P.6-7